2025年1月23日

不登校復帰後の初めてのテストで

僕は小学1年生から6年間不登校だった。

 

最初の頃はお母さんと一緒に保健室登校だったけどそれも苦痛で、ついに全く学校へ行けなくなってしまった。

 

僕は毎日家でゲームばかりしていた。僕が小学生の頃は今のように携帯を子供が持っているのは当たり前ではなかったから、ゲームをするくらいしかやることがなかった。

 

もちろん時間ならいくらでもあった。だけど勉強をする気にはなれなかった。

 

下校時間になると、近所の友達が毎日明日の授業の時間割と一緒に宿題を持ってきてくれていた。

 

だから、宿題はやらないといけないと思っていたけど宿題を目の前にすると毎回「こんなのわからない・・・」と焦りと不安がこみ上げてきてた。

 

だから宿題をやりたくても出来なかった。単なる甘えだって思う人もいるかもしれない。だけど、経験者なら分かると思う。

 

もちろんそんな僕を見てお母さんは「一緒にやってみようか?」と優しく声をかけてくれていた。

 

僕もその気持ちに応えて嫌々ながらやろうとしたこともあった。だけどいくら教えてもらっても分からないものは分からない。

 

特に数学は苦手だった。数字が沢山書いてあるだけでめまいがする。そしてついに僕は全く勉強をしなくなった。

 

他の記事でも書いてあるように、不登校の期間は本当にゲーム三昧だった気がする。

 

ゲーム内では漢字に読み仮名付きで出てくるからそれなりの漢字は読めるようになっていたから不自由はなかったし・・・。

 

そんな勉強が皆無の6年間。僕は中学生になって初めて他の皆と同じように学校へ行けるようになった。

 

そこで初めて6年間の重みを感じる経験をした。それは「テスト」だ。

 

学校にはテストと呼ばれる定期的に学生が普段の授業で学力が身に付いているか確認するものがあるらしい。

 

僕は中学生のテストを初めて受けた。結果は言わなくても察しは付くと思うのだけれど、学年ビリ。圧倒的に・・・。

 

周りはテストの点数について「○○君何点だった?」「すごい!100点だ!」なんて声が飛び交っていた。

 

だけど自分的には学校へ通え始めて、友達も少なからず出来たし毎日楽しく過ごせていたからテストの点数なんて気にならなかった。

 

けれど、一つだけ不安なことがあった。それはお母さんにこんなテストの点数を見せたらきっと悲しむだろうなと思ったこと。

 

 

どうしたら良いのか分からないからとりあえず友達に聞いてみるとテストが返って来たら親に見せるのが普通らしい。

 

だから僕もそうすることにした。心の中で「悲しむだろうな」と思いながら、お母さんにテストを渡した。点数は5教科平均20点くらいだった。

 

すると僕の予想していた反応とは全く違う反応をお母さんはした。笑顔で嬉しそうに「よく頑張ったね」とだけ一言僕に言った。

 

僕はなんでこんな点数しか取れないのに嬉しそうなのか理解できなかった。きっと僕を悲しませないようにそう言ってくれたんだと僕は思った。

 

だけどあの時の言葉は心の底から感じる温かい言葉だったから、本心でそう言ってくれたのかも知れない。

 

きっと不登校で全く勉強してこなかったのに点数が少しでも取れたこと自体がスゴイと思ってくれたんだと思う。

 

僕のお母さんはやっぱり凄い人だ。僕のちっぽけな視野からでは見えない角度から物事を判断してくれる。僕はそんな母を一生尊敬する。ありがとう。

 

そして、当時そんな母へ「育て方が悪いから不登校になった」と言っていた大人達を否定できるくらい、僕も頑張っていこう。













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