不登校の子供が外出すると色々なところから批判的な声が聞こえてくる。
当時の僕は仕方のないことだと思っていました。だけど本当はそうではないんだよということを伝えたい。
私は不登校の時期、とにかく外出するときにはお母さんに「どこのスーパーまで行くのか」を必ず確認していました。
理由は簡単で、近くのスーパーなどに一緒に行くと”学校の同級生や親が居るから”です。
もし買い物中に学校の同級生に出くわしたりでもしたらとんでもないことです。
私も何度かありましたが近くに寄ってきて「久しぶり!元気そうじゃん!なんで学校来ないの?」なんて聞かれてしまい、困惑・動揺するからです。
そんな時はいつも隣でお母さんがかばってくれていました。
でも、お母さんもとても辛かったと思います。だから出来るだけ、スーパーへ行くときは同級生の居ない時間を狙って行くようになりました。
しかし時間帯を変えてもまだ問題がありました。
ある日、学校のある時間帯に近くのスーパーに一緒に行った時のことです。
会計を終わらせて袋詰めをしていると、隣のカウンターに二人の女の人がやってきました。
すると片方の女の人が僕の顔を見るなり「あら、今日は学校早く終わる時間だったのね。早く家に帰らないと」ともう一人の人と話をするのが聞こえてきました。
もちろん隣に居たお母さんの耳にも聞こえました。母はその二人に対して小声で「すいません…。違うんです…」と悲しそうに言っていました。
後々聞いてみると、同級生のお母さん二人だったらしいです。僕は知りませんでしたがお母さんは学校の保護者集会などで何度か顔合わせしていたので気が付いたみたいです。
僕はその時とても悔しかった。
別にそのお母さんたちも悪気があって言った訳では無いと思います。
でも、僕は言い返せなかったし、何よりお母さんがあんなに悲しそうに悪いことをしていないのに「すいません」と謝らせてしまったこと。この時のことは一生忘れないと思います。
もうその日から僕はスーパーに一緒に行っても車の中で待つようになりました。
お母さんを悲しませてしまう行動をしたくなかったから。僕は車の助手席に毎回乗っていたけど、それからは後部座席に座るようになりました。
後部座席だと少し黒いガラスになっているので外からは見えないし、座席の下に隠れるスペースもあるからです。
スーパーへ行く途中に下校中の生徒を見る度に僕は座席の下に隠れていました。でもお母さんは毎回こう言ってくれていました。「想くん隠れる必要ないよ。悪いことしてないじゃん」と。
不登校の時の僕はその言葉の本当の意味を理解していなかった。
悪いことしてないと言うけれど、不登校=悪いことだと思っていたから。
でも今大人になって思うのはみんなと同じ一人の人間に変わりはなく、ただ学校へ行けていないだけってこと。
私が経験したようなことをこの記事を読んでくださっている子供たちや保護者の方々にも思い当たる節はあると思います。
「外出できるなら学校来れるじゃん」「不登校なのに遊ぶなよ」「家でゲームやり放題でうらやましい」こんな言葉たちに何度心が折れたことか。
でもこんな心無い言葉に耳を傾ける必要は全くない!!!
遊びたい時に外に出て思いっきり遊べばいいし、近所で周りの目が気になるなら隣町まで連れていってもらえばいい(連れていってあげてください。)住んでいる町にもよりますが、少し離れたところまで出るだけで、もう知っている人なんて居ないはずだから思いっきり羽を伸ばそう!
そもそもそんなことすら気にする必要ないんだけどね。だって、何も悪いことしてないんだから。堂々と生きれば良い。