【不登校になった理由4】
次の日からは学校へ行く可能性は自分の中で完全に閉鎖されました。
おじいちゃんには会うたびに、お母さんが「子供を甘やかしすぎなんだよ。学校へ行かせろ!」と言われ、学校がある時間にスーパーへ買い物に着いていくと、私を見て、おばさん2人が「あら!今日は早く帰ってくる時間かしら!急いで家に帰らなくちゃ!」と会話していました。お母さんは小声で「いや、違うんです…」と。
私は自分が苦しいだけだと思っていましたが、本当はお母さんも苦しいということが徐々にわかってきました。
そんな日が続き、気づけば私は4年生になっていました。
ある日、お父さんが「想くん!スポーツ少年団入ってみるか!」と言ってきました。
私は小さい頃からお父さんが野球が大好きなこともあり、よくキャッチボールをしていました。
野球は好きでしたし、学校の子もいますがお父さんも付いてきてくれるということで入団を決めました。
とても不安でしたが、いざ行ってみるととても歓迎され驚きました。わたしが左利きだったからでしょうか。友達たちに「サウスポー良いなぁ」と言われました。
自分が良い意味で会話の中心になったのはそれが始めての経験だったので、気持ちが良かったのを覚えています。
それに私が不登校であることに触れてきませんでした。私の不登校について監督にでも口止めされていたのでしょうか。
それからは練習が毎週土曜日曜日の午前中だけでしたが、土曜日日曜日が待ち遠しく、野球をするのを生きがいにして生きていました。
そのうちに、何人かが「学校へおいでよ!」「絶対大丈夫だから!」と言われるようになり、学校へ行くことを考えるようになりました。
そして、わたしは4年生の2学期はじめから、お母さんに「そろそろ学校行ってみようかな」と言いました。