【対話に満ちた7日間 よりどこ留学】
— よりどこ留学とは、学校に行きたいけど行けれない子に向けて、親元を離れ、7日間に及ぶ生活の中で子供の「やりたい!」挑戦心に寄り添い、同時に「これだけは身につけておこう!」という社会性を改めて考えてもらい、子供自身が新たな自分の可能性の扉を開ける一週間です。 —
今回のよりどこ留学は、県外から以前親子で来てくれたお母さんの一言から始まりました。
「よりどころには子供を預けて、生活を共にして勉強したりできる環境はありますか?」
まずは子供の意見を聞きたいと思い、お母さんに話を持って帰ってもらいました。
すると大阪から帰って数日後、即答で「行きたい」と毎週開催しているおしゃべりzoom内で子供の口から言ってくれたので、”これはやるしかない!”と思って相方の岩月と共に、彼が1人で来て、何を与えられるか?何をやりたいか?何を求めているのか?を考えた結果、最低でも7日間が必要という結論に達して、長いようで短い一週間の計画へ決まりました。
初めは彼一人での留学と考えていた。
けれど、色々考えて行くうちに歳が近い子も居た方が彼の為であり、その子の為にもなると思い、募集をかけました。
すると募集開始5分で1つのLINEがきました。
「まだ枠はありますか?うちの子に聞いてみると、行きたい!と言っています。」
まさかと思ったLINEは、いつもよりどこハウスに来てくれている男の子のお母さんでした。
そうして、小学生男の子二人のよりどこ留学が決定しました。
よりどこ留学までの間、おしゃべりzoomやよりどこハウスに来る度に留学の話を沢山聞いてくる2人。
「どんなことするの?」「もう一人はどんな人なの?」
親元を離れて生活することだけでも不安かもしれない。それでも前向きにこれから挑戦することに対してのドキドキとワクワクで、色々な質問が飛び交っていました。
そして、留学当日。
県外からの子は朝早い高速バスに乗るところから挑戦は始まっていました。
「無事に着けるだろうか」
その子の家族、僕たちそして、他の誰でもないその子自身、みんながそう思っていました。
そんなドキドキもありながら、無事に大阪へと彼は到着しました。
そして、もう一人の子が待つ駅へと一緒に向かいます。
これから共に過ごしていく、2人の初対面。
目も合わせられずに軽く挨拶をしてまずはお昼ご飯を食べに行きました。
その日の夜によりどこ留学でのルールを3つ決めました。
1.名前で呼ぶ
2.あいさつをする
3.食べたものは捨てる
基本ではあるかも知れないけれど、これが意外と難しい。
今回の留学で、家に帰った後も生活が変わらなかったら意味がないものになってしまうから、これだけは徹底!
(よりどこ留学で何をしたかは、気になる内容かも知れませんが、詰め込みすぎて書き切れないので割愛します…。)
一部だけですが、魂の授業というものをしました。
これは僕と聡志くん一人ずつが、今まで話した事のない話や、これだけはやっておいた方が良いこと。そして、僕で言えば今まで子供達とは直接話をしたことが無かった”不登校”のことまで、お互いに腹を割って話しました。
伝えたいことは全部伝えた。
最後には、ある約束をした。
今回の留学では普段からよりどこハウスに来てくれている大学生スタッフも沢山協力してくれて、その甲斐あって、最初は初々しく目も合わせられなかった2人が日に日に名前で呼び合う姿や、お互いを気遣う様子も見せてくれました。
最終日のお別れの時には、「何か声掛けたいけど、何話して良いかわからん」と伝えてくれたので、「自分も同じような経験したことあるけど、お別れの言葉を言えなかったから、自分は一生後悔してる」と伝えると、2人で何か色々と話しながら、駅へと向かっていきました。
普段は見られない子供の(といったら失礼だけど)、新しい一面をたくさん見られた7日間。
彼らは留学が終わった今でも、家で留学中に僕達とした約束を守ってくれている。
そして、お互いに「また会いたいな」と話をしている。
7日間の間、一度も帰りたいとも言わなかった二人。
一日過ぎる度に「今日も早かった」と言ってくれていました。
気づけばあっという間の一週間。
彼らがまだ小学生ということに、途中途中で忘れてしまうくらい、毎日沢山の事を吸収して、挑戦してくれた。
彼らは今回の留学でまた一つ成長した。
しかし彼らが元々持っている人間力を少し磨くお手伝いをさせてもらっただけだったのかも知れない。
彼らは必ず約束を守ってくれる。
10年後、20年後でもいい。約束を果たして
人生を謳歌してほしい。